かのコレ

キャスト発表されたときが1番元気

演劇を、読む②

前に書いた記事の続きです。

演劇、芝居、舞台が題材の小説いろいろ読みましたっていう話。

前回書ききれなかったものと、新しく読んだものを追加。

 

↓前回の

演劇を、読む - かのコレ

 

歌舞伎座の怪紳士/近藤史恵

【あらすじ】

職場でハラスメントを受け退職した岩居久澄は、
心に鬱屈を抱えながら家事手伝いとして日々を過ごしていた。

そんな彼女に観劇代行のアルバイトが舞い込む。
祖母に感想を伝えるだけで五千円くれるという。

歌舞伎、オペラ、演劇。
初めての体験に戸惑いながらも、徐々に芝居の世界に魅了され、心が晴れていく久澄だったが――。

私が行く芝居に必ず「親切な老紳士」がいるのは、なぜだろう?

 

慣れることは、少しあきらめることに似ている。 もし、わたしに巨万の富や、思い通りにできる魔法の力があれば、あえて外になんて出て行かない。この家にいて、ワルサと遊んだりしながら、好きなときにお芝居を観に行く。 そんなものはないから、わたしは仕方なく働くことを選ぶ。 思い通りにならないことをあきらめ、この社会に適応することを選ぶ。 それでも、好きなものがあれば、少しだけ生きることは容易くなる。ワルサにとっての日だまりのベッドのように。

 

チケットは現物支給(歌舞伎、オペラ、ストプレと様々なジャンル)交通費とお弁当代は別途手当ありで、見た舞台の感想送ると5000円もらえる観劇代行のバイトめっっちゃ良くない????

(ていうかそれ招待で舞台見て劇評書くライターじゃry

自分でチケット買うとさ、3時間ないし4時間、あの時間、あの座席はもうわたしだけのものじゃないですか。それが最高なんだけど、それはそれとして人の金で見る舞台うめえ(もぐもぐ

初めて舞台見たときの高揚感、何もわからない初心者だった自分が観劇をきっかけに知見を得て興味を持ち世界が広がっていく様、初めて自力でチケット取った時の達成感、劇場行くときはいつもよりちょっと良いお洋服着たり、いつもよりちゃんとメイクしたり、同じ趣味の友達と語り合う楽しさ、次の予定があるから頑張れるモチベ…読みながら何度も「あーーーー(わかる)」ってなりました。

そして奇しくもわたしがこの作品読んだタイミングで直近で歌舞伎座でかかっていたり映画国宝の劇中にも出てくる『京鹿子娘道成寺』『弁天娘女男白浪』『仮名手本忠臣蔵』『鷺娘』『勧進帳』などがお話の中で登場し、おお!リアルタイム!となりなんとなく嬉しかったです。

この趣味に浸かる前の自分が何してたのか全然覚えてないんですが、思えばこの趣味のお陰でチケットの取り方覚えたし、ネットリテラシーも学んだし、(元々スーパーインドア派なので)普通に生きてたら絶対行かないような土地に(遠征で)たくさん行ったし、(住んでる場所や年齢、職種も全く違う)普通に生きてたら絶対知り合えなかったような人とも出会えたし有り難くも今でも仲良くさせていただいてたり…

同じ時代を生きたおたくは戦友みたいなもんだし、ダチの推しは親戚だし、ダチの元推しに謎の憎しみを抱いてるからダチの元推しをテレビやSNSで見るたびに心と体が喧嘩して頼りない僕は寝転んで北村匠海するんですが。

とにかく、好きなもののおかげで日々楽しく生きていられる自分がいるし、この趣味やってないと今の自分は存在してないと思う。

 

新しいことを始めなくても生きていけるし

それは生きていくのに別に必要のないことかとしれない。でもむしろ人生に必要ないものの方が世の中多いのではないか。そしてその不必要なものに救われてる人が大勢いるのだろう。

新しい場所に行くことは、世界が少し広がることだ。もっとも、嫌な思いをすれば、もう二度とその場に行きたくなくなることもあるかもしれないが、そこは自分の場所じゃないと知ることができる。 それはそれで前に進むことかもしれない。

やってみてダメだった、合わなかったとしてもそれはダメなことを知れるんだから別にいいじゃんっていう作中のこの一文がとても好きだなと思いました。

 

 

■カット・イン/カット・アウト/松井玲奈

【あらすじ】

あの日、演劇(フィクション)のような、人生が始まった。

著名な劇作家・野上が主宰する劇団の新作公演初日まで、残り3週間。
晴れてヒロインに選ばれた元国民的子役のアイドル・中野ももは、
野上の厳しい指導に応えることができず、徐々に追い詰められていた。
長年売れず、端役を手にすることしかできなかったとある中年の女優は、
中野ももが憔悴していく様子を気に掛ける。
そして、やってきた公演初日。
幕が上がった瞬間、二人の人生は大きく変わる!

俳優としても活躍する著者が3作目の舞台に選んだのは、「演劇」の世界。
二人の女性が織り成す関係は、ゆっくりと、繊細に、絡み合う。
現実にうちひしがれる絶望、強運を手にして舞い上がる歓び、突然やってくる予想外の衝撃。
幾つもの感情を抱えた先の終着点で、それぞれが決断した選択とは――。

「演じる」とは何かを問う、唯一無二の物語。

 

自分が飛び込んだスポットライトはどうやら思っていたのとは違った光だったようだ。考えてみれば当たり前のことだ。私は私で、誰かになることなんてできない。光を当てられても、それで自分が変身できるわけではない。それなら芝居とはなんだ?

 

松井玲奈さんが俳優業と執筆業どっちもやられてるのは知ってたけど、この作品でもう3作目なんだって!

今作は演劇が題材と知り、読んでみました。

アイドル、映像、舞台といろんな現場を経験してきた彼女だからこそ書けたもの、書けなかったものがあるんだろうな。

読みやすくサラサラ進んじゃう文体なのに時おり心を抉るような描写が出てきて、ゾワッてしちゃう。

そして1章の最後は「え????」ってなって思わずページを戻ってもっかい読み直したよね。素晴らしい導入だと思いました。

あと、ご自身のこだわりなのか、食事のシーンがよく出てくるんだけど、そのごはんのシーンをめちゃくちゃまずそうに、嫌そうに、辛そうに、不快に書くのがお上手(誉めてる)

※おいしそうな描写ももちろんあるんですが、そっちのほうが強く印象に残ったという話です

食べることって生きることじゃないですか。

食べ方や、何をどう食べているかを見れば育ちがわかる。

1人でごはん食べたい、素材に拘る、誰かに料理を振る舞うのが好き、偏食、食べられればなんでも良い、賞味期限はそんなに気にしない…とか、食に関する傾向でその人の生き方がなんとなく見えるものだ。

(そうではない方ももちろんいるだろうけど)多くの人にとっておいしいものを食べることは、楽しいとか幸せだとか思うことで、ごはんを食べることが辛い、おいしくないって感じるのは、体調が悪いとかストレスとか、精神状態があまり良くないとか、心身の不安定さみたいなものが現れてるときだ。

(生命維持活動のためだけに)食べたくもない、おいしいとも思えない、ごはんを嫌々飲み込んで無理やり押し込めて来た日々が彼女にもあったのだろうか。

 

「自分が自分であること」って当たり前で簡単なことのようでそれを受け入れて自分の名前以外で立証することはとても難しい。

だから、生きてる限り他者と関わるし、依存するし、周囲と比べちゃうし、憧れたり、嫉妬もするし、誰かに見てほしくて、認められたくて、必要とされたくて、肯定されたい、助けてほしいし、助けてあげたい。そうやって一生踠いていくのが人生だ。

みんなそうやって生きていくんだと思う。

 

試し読みはこちら

松井玲奈 「カット・イン/カット・アウト」 試し読み | 小説すばる - 集英社

 

 

■花闇/皆川博子

【あらすじ】

絶世の美貌と才気を兼ね備え、頽廃美で人気を博した稀代の女形、三代目澤村田之助。脱疽で四肢を失いながらも、近代化する劇界で江戸歌舞伎最後の花を咲かせた役者の芸と生涯を描く代表作。

 

京白粉は、鉛の板を酢に入れて熱し、腐蝕して白くふいた粉をかき集めたものだという。肌の粗い毛穴を鉛の粉で塗りつぶし、女を超えた女、現実の世にはあり得ぬ女に化けるのだ。 それでも主役をつとめられるのであれば、このくらいの苦痛は何ほどのものでもあるまい。見物の陶酔、熱気。見得をきるとき、小屋を埋めた群衆は、ただ一人の役者の体内に収斂される。役者は群衆をのみこみ、言うなれば、その手に世界を掌握する。 

 

これあれかー!JIN(ドラマ)で吉沢悠がやってたあの人のことかー!と思い出したので読んでみました。

(ちなみに、国宝の俊介もこの人オマージュ)

夭折した実在の女形三代目澤村田之助の半生と、江戸後期の演劇史、社会情勢や町方風俗もいろいろ知れておもしろかったです。

天才女形と名高い澤村田之助ですが、破天荒で気性が激しく、だいぶトラブルメーカーであったと伝承も残っており、世界を見渡してみても、今日にいたるまで後世に語り継がれるような類の人たちってやっぱりみんなやばい(やばい

そして、稀代の女形の話ですから当然その美貌や佇まい、他者を強烈に惹き付ける底知れぬ狂気について言及する箇所や、美しい情景描写がたくさんありますが、「美しい」「綺麗だ」を形容する修辞は、こんなにもたくさんあるのですね。

人はどんなときに美しいと感じるのか。容姿の美しさ、所作の美しさ、心根の美しさ、人智を越えたものの美しさ、滅びゆくものの美しさ…

視覚的な美しさだけでなく、目に見えぬふわっとした概念にいたるまで「美」と付く(それぞれ微妙にニュアンスが違っていたりする)言葉を数多く抱える文化圏に生きるわたしたちは、いにしえの昔からこうやって美しさに心を乱し、囚われ、噛みしめて、どうにかこうにか言語にしてきたのだろう。

美しいと言い表して良いかわからないが、「並でないものは美しいのだ」という作中の台詞が印象的。

それにしても雪舞台って風情があって綺麗なんだろうな。でもめっちゃ寒そうだな。

 

 

■渦 妹背山婦女庭訓 魂結び/大島真寿美

【あらすじ】

江戸時代の大坂・道頓堀。穂積成章は父から近松門左衛門の硯をもらい、浄瑠璃作者・近松半二として歩みだす。だが弟弟子には先を越され、人形遣いからは何度も書き直させられ、それでも書かずにはいられない。物語が生まれる様を圧倒的熱量と義太夫のごとき流麗な語りで描く、直木賞&高校生直木賞受賞作。

 

ああ、はよ帰りたい、と半二は思う。ともかく、はよ、帰って、芝居が見たい。人形が見たい。浄瑠璃がききたい。旅もええが、それよりわしは、やっぱり芝居や。はよ芝居が見たい。風光明媚な景色よりも人の拵えた舞台の方がわしにはしっくりくる。うまい太夫浄瑠璃きいて人形眺めて一息つきたい。要するに、あれがわしの飯なんかもしれへんな。わしは腹減るみたいに、浄瑠璃が足らへんようになってしまうんやな。そういや、ちっさい頃、飯より浄瑠璃の好きな子やて、よういわれてたもんや。

 

これ、めちゃくちゃおもしろかったです!!

文楽や歌舞伎の有名な演目「妹背山婦女庭訓」の作者近松半二の半生…って書くとなんかすごい堅苦しいかんじなんだけど、オタクが何かに没頭して魅了されていき、自分と世界が呑み込まれていく様を(みんな身に覚えあるでしょ)軽快な関西弁の語り口で綴っていて講談を聴いてるようなおもしろい作品でした。

いわゆる「降りてくる」瞬間、書く書く言って全く筆の乗らない時期、あっというまに売れていく同業者への焦りや羨望、何やっても空回る低迷期、共作の楽しさとむずかしさ、同業者の突然の引退、モチベの維持、コンテンツが楽しくめなくなるとき、「概念」の話をやたらこねくりまわすオタクたち、深淵を覗いてしまうとき、いずれ直面する「いつまで続けるのか問題」、それでも書かずにはいられない自分を駆り立てるものの正体は何なのか…

文章を書くのがお仕事の人、何らかの創作活動をしてる人、何かに極端にのめり込むオタク気質の人、心当たりある方多いんじゃないですかね。

 

人が、町が、人の生きた時間が、文化が、混ざり合ってぐちゃぐちゃになったこの世界は「渦」であり、「渦」の中から生まれたがっている詞章を引きずりだして、文字にしてこの世につなぎ止めることが浄瑠璃を書くことだと作中で半二が語ります。

「渦」から生まれいずるものたちは、やがて作者の手を離れ、どんどん一人歩きを始めて、人から人へ旅をして、誰かの心に触れて、誰かの心に寄り添って、誰かの心に残っていくものであり、忘れられた頃にまた違う誰かに見つけられたりする。それがずっと続いてく。人から人へ続いてきた旅路だ。文化ってそういうものなんじゃないでしょうか。

なんかその話知ってるな????

繋げババアじゃん(もはや怪異の呼び方)

↓繋げババアの話

おたくVSブリリア④ - かのコレ

 

続編も出てるそうです!今度読んでみよう

半二の娘おきみが主人公の模様

 

 

■男役/中山可穂

【あらすじ】

トップになって二日目に舞台事故で亡くなった50年前の伝説の男役スター・扇乙矢。以後、大劇場の奈落に棲みつく宝塚の守護神ファントムさんとして語り継がれてきた。大劇場では月組トップスター如月すみれのサヨナラ公演の幕が開き、その新人公演の主役に大抜擢された永遠ひかるの前にあらわれた奇跡とは―。男役という稀有な芸への熱いオマージュを込めて中山可穂が情感豊かに描く、悲しく切ない恋愛幻想譚。

 

ああ、なんて眩しい光なのだろう。役者の肌を溶かし、骨の髄を溶かし、脳髄に毒を垂らしこみ、心をとろかす危険な光だ。一度浴びたら最後、二度と死ぬまで忘れられない、麻薬のような光だ。拍手の音が潮騒のように聞こえて、ひかるの全身の皮膚に突き刺さってくるようだった。そこから見えた客席の景色は、これまでのように舞台の端っこから見えていた景色とはまるで違っていた。夜の海のように遠くで仄かな灯が揺らめき、寄せては返すさざ波のようなムーヴメントが蠢いて、幻のように美しかった。

 

すごいこれ…めくるめく宝塚構文だすごい…

塚オタの人の狂ったように称賛書いてるポストが流れてきたときにしか見ない単語の連続がすごいwwwめくるめく宝塚構文すごい…

こういう単語、言葉としては知ってても(※オタクは中学二年生くらいのときにこういう言葉をいっぱい学びます)絶対使う機会ない(し、普通の人は大体読めない)ので読める!読めるぞ!!ってムスカになってしまった。

Amazonの商品ページとかで試し読みあるから、冒頭を読んでみてほしい。

いきなり、せりから男装の麗人現れて「?????」ってなるから。

どういうこと

ってなって読み始めて「あなたはどんなふうに(舞台上で)死にたいんですか」って演出家に詰められて「やっぱりファンタスティックに死にます」って答えてるシーンでもうダメだった。おもしろすぎた。

ファンタスティックに死にます

ストーリーはというと、漫画かげきしょうじょ!!の番外編とかに出てきそうな退団するトップと新人公演の主役の2人を軸に展開するファンタジー要素強めのメロいお話。

宝塚詳しくないので、ほーん、そういう文化があるのかと興味深く読みました。

そして「退団した男役をその後も推せるか問題」は身近にいる塚オタからよく聞きます。

退団した娘役はそのまま推せるけど、退団した男役が外部の舞台で(外部って塚オタの人言うよね)女装してるのが無理で素直に推せず、醒めてしまったり、塚オタの自分は結局宝塚でしか生きられないので生まれた川に戻ってくる鮭の話。

鮭の話、塚オタ特有の悩みなんでしょうか。

脱退したり解散したアイドルをソロになっても推せるか?とか2.5舞台とかで◯◯役を卒業した推しをこれからも見るか?とかそういう話と近いかんじ??

◯◯に所属している推しが好きっていう感覚はわりとオタクあるあるな気がする。

 

同作者の宝塚シリーズ他にもあるみたいです

 

 

すぐネタ切れになるかしらと思った演劇縛りの小説だけど、意外といろんな作品ありますね(ストックまだある)読んだらまた記録としてここに残しておこうと思います。