明けましておめでとうございます!!(1ヶ月前)
半年に1回しか更新されないブログですこんにちは
こんなブログでも今でもたまーに読者登録してくださる方や、★つけてくれる方がいてびっくりするし、はてブロちゃんも「そろそろ記事を書いてはどうですかね?www」みたいにいちいち煽ってくるので近況でも書きます!!!
前回の記事に「衰えるおたく、もうIQ2」みたいな話書いたんですけど
去年の下半期に見た舞台が
子役のポテンシャルボンバー(ビリーエリオット)→とにかく明るい和樹(ローマの休日)→全集中おじいちゃんの呼吸(生きる)
という、明るめハッピーハッピーミュージカル、復帰明けのおたくをやさしく抱きしめるハートウォーミングな演目が続いていたので2020年はなんだかんだ、ふんわり終わったんですよ
舞台って楽しいじゃんして終わったんですよ
で、年明け1発目の作品がスルースだったんですが
ホリプロの狂犬(豆柴)
ごりごりの二人芝居
怒濤の台詞の応酬(ミステリー、スリラーあるある)
なんかもうずっと喋ってる
なんかもうずっと喋ってる
あーーストプレの呼吸だーーーー
ちゃんと台詞聞かないといけないやつだーーこれーーー(大体の舞台、ちゃんと台詞きかないといけないやつだよ)
なんか今まで別になんとも思わなかったけど
舞台だったり映画だったりを見てるときに無意識にやってる「見る、聞く、理解するを同時進行でやる(+後で感想をアウトプットする)」を数時間続けるってこれもう、そういう能力だよ
音なら聞くだけだし、字を読むなら見るだけだけど、動きを捕捉しながら台詞を聞いた上で自己解釈するって瞬時にものすごい情報量を処理してんだな( ˘ω˘ )そこに理解と感情がついてこないとそりゃあ楽しくないだろう。
びっくりするほど内容理解できない、集中できない人を見ると「なんで?」って思ってたけど、いやこれ実はなかなか高度な能力なのでは?と、久々にストプレの呼吸の洗礼を浴びたらふと思いました。
予備校の授業とかに近い感覚なのでは。
機械的に先生の話聞きながら、坂書読みながら、書き写して、理解するみたいな。
この感覚って定期的に使わないとあっというまに衰えていくんだなあ
そしてめちゃめちゃ体力いる(^ω^)
体力の低下めっちゃ感じるのは、前は舞台と映画梯子して帰りにショッピングなどきめこんでたけど今もうどれか1個しか行けなくなりましたね(^ω^)
インドアおたく、外出機会が減り基礎体力が落ちておたくとしてのパフォーマンスもだいぶ低下してるのを実感した年明けでした
あと、舞台俳優芝居が上手い(感想がクソ)
そんな2021年スタートです(^ω^)
舞台俳優芝居が上手い
※以下、作品の内容に触れてる箇所があります
芥川賞受賞した「推し、燃ゆ」を読みました。
うちらが「なんかきもい、辛い、しんどいような気がする」とか感じるまとわりつくような不自由さや気持ち悪さ、だるさを文章にぬめっと落とし込めるすげえ作家さんだよ。読みながらずっと頭のなかで不協和音が鳴ってるかんじ。
プールの授業の様子、あんなふうに表現する作家いる???
最初タイトル見て、なるほど、(物理的に)推しを燃やすタイプのおたくか(三島由紀夫タイプ)わかる金閣寺(推し)燃やすよなあってなったけどぜんぜんちがいました(^ω^)
(そういう物騒な話じゃないw)
タイトルから察するような強火ガッツのひきこもごもの話でもなく、発達障害のメンヘラおたくが閉じられた世界で生き辛さを吐露する話です
あーーーこういう子いるよなーーー
りさ子のときもそうだったけど、推しを推したことのない人は読んだところでそりゃあ「なるほどわからん」でしょ
推しを推したことある人でも「なるほどわからん」かもしれないよね
人には人の推し方があって
愛情のかけ方って100人いたら100通りあって
自分と違う推し方を見たとき、
他人のことなんてどうでもいいはずなのに、なんかもやっとした不快感や嫌悪感を抱いてしまう。気持ち悪って思う。
これがいわゆる「そんなの愛じゃない」「本当のファンならこうあるべき」「ファンがみんなこうだと思わないでほしい」の「愛」や「ファン」や「おたく」という概念の殴り合いだと思うんだけど
「推し、燃ゆ」で検索するとサジェストに「茶の間」って出てくるあたり、おたくまじそういうところwww
別に推しとファンじゃなくてもいいんだけど
この年齢になってもまだ「親がダメって言うから」とか言ってる同級生を見ると「え」って思うし
それさっさと関係切った方が良くない?みたいな相手とクソみたいな関係をいつまでもズルズル続ける友達見てるとこの子大丈夫かなって思うし
推しの良さを勝手にプレゼンしてくるおたくきめえなwwwって思うし
おまえのことを思ってどうのこうのみたいな余計なお世話はマジでやめとけって思うし
他人の愛の形って、そもそもなんか不快に思ったりするものなのかもしれない
わからない、ありえない、共感できない(だからつまらない)じゃなくて
「あーこの人こうなんだ」くらいじゃないと他人の愛の話って読めないんだ
人の感情って全部自分のものにしなくていいと思う
主人公のあかりは推しのことをあたしの「背骨」だと言う。背骨は身体の中心、身体を支えるなくてはならないものだ。背骨がなければ立っていられない、生きていけない。
推しはアイドルから人になった。
推しという背骨を失い、二本足で立てなくなったあかりは、這いつくばって骨を拾う。
背骨がなくなったら死ぬと思ってた。
生きていけないと思ってた。
でも、人って案外死なないんだよね。生命力ってすごいんだよね。
愛が死んでも、おたくが概念としての死を迎えても、
しぶとく、ずうずうしく、生きてくんだろう、たぶんこれからも。
推し(金閣寺)燃やした溝口もそうだった。
それでも生きてくんだよな
ところで、燃えて引退した推しは「人になった」けれど、繋がった推しも、それはそれで「人」になるよねえ( ˘ω˘ )
殺傷能力の低い刃物で生傷をぐりぐりするような作品でした。
作家の目を通すと世界はこういうふうに構築されるんだ
作家すごい(感想がクソ)
ライブのシーンとか、なんかもうこんな世の中なので、いいなーライブってそうだったよなーってなるよね( ˘ω˘ )
ふつうに見れてた頃がもはやなつかしいね
あと、推しとの別れを想像するとき、推しで繋がった友達との別れを想像するみたいな描写も、わかるーーってなりました
あの頃一緒に現場にいた人たち、今どうしてるのかな
あとなんか「推し」とか「おたく」とかいう単語が市民権を得てから久しく、推し活楽しい!おたく最高!推しくん尊い!推しは光熱費!みたいなハッピーおたく讃歌が溢れ、おたくをテーマにした作品も増えているけど、誰かを、何かを推すのってまあまあしんどくないです?
好きなことが全部楽しいわけじゃないよなあ
おたくの楽しさよりもそういう仄暗い重さや痛みや寂しさの方になんとなく惹かれてしまいます。
たぶん去年1年で他界したおたくたくさんいると思うけど、今後おたくはどこに向かうんでしょうね
わたしは、まず体力をつけようかな(^ω^)