おたくが現場を失って早3ヶ月、皆さん如何お過ごしでしょうか
幸いにもわたしは2月いつぱいフランケンシュタインあってほんとにギリギリのタイミングだったろうけど千秋楽まで上演してもらえて、おれの2020年は終わったみたいなかんじだったのでそこまで失うものもなかったんですけど。
「フランケンがやってたときのことはおぼえてないけどきっとしあわせだったとおもいます!!」(かのジャーノンのお墓にお花を供えるやつ)
最初の頃は、自粛期間中はタイトな観劇スケジュールも、ハードなチケット戦争も、ギチギチの予定管理も、ハイになって我を忘れてヒャッハーすることもなく、こんなだるだるでぐだぐだなぬるま湯に浸かり続けてたら果たしておたくに復帰できるかとか心配してたんだけど
おたくどころか社会生活に適応できるかが心配だわ
週5の働き方忘れたでござる
働きたくないでござるよ薫殿(るろうニート)
木曜めっっっちゃ辛い(今)
現場なくてもおたくやることいっぱいあるからまだ自粛できますーーーー
俺たちの本気はこんなもんじゃねえんだ…!!!
自粛の王は俺たちだ!
まいかちゃんと、某所に最後に行ってからもう半年くらいかな?早いね~とか言ってたんだけど、半年どころか既に8ヶ月が経っており、たぶんおたくの脳内時計は自粛前の2~3月あたりで時を止めてるんだわ
おたく、推しの出演作品で暦を把握してるみたいなとこあるじゃないですか
○○(作品名)が上演してた時期だから何月頃の出来事だ…みたいな。
だから現場がなくなると暦すらわからなくなる
現場のないおたくなんて、ただのあつ森おじさんだなも
楽しみにしてた演目は次々に中止になり、取っても取っても取っても取っても(広末涼子みたいに言うな)チケットは払い戻しになり、最初の頃はそれなりに落ち込んだり心を痛めていたんだけどなんかもう慣れてきてしまってそれも怖いなって思いました
いつから現場があると錯覚していた?のやつじゃん。はいはい、鏡花水月。
自粛期間がおたくに金と時間と理性を与えた結果、おたくたちはついに我に返り始めた。
おたく「おれはしょうきにもどった」
おたくはあたまがおかしいからおたくであるのであって、理性を取り戻してしまったら、そんなんただの分別のある人だよ(それはそう)
もちろん公演中止による膨大な損害もあたりまえなんだけど、年末~年明けくらいの舞台で釣った新規おたくが次の現場をすべて失っているので、そういう新規顧客の獲得という将来価値がダメになってるのも目に見えないけど、なかなかの損失だと思うな。
現場が(仕事が)なくなっていろいろ被ってるのはあちら側の方々も同じなわけで、この機に様々な新たなコンテンツが動き出しました(ほぼ配信関係)
まあ、この情勢だから、いろんな制約がある中で頑張った結果が、もうどうあがいても配信にしかならないので仕方ないんだけど。
作品の出来や内容云々ももちろんなんだけど、決まった時間にわざわざ劇場に出向いて、劇場の雰囲気とか空気とか、一生懸命キャスト表撮って、物販ひやかして、明るくてざわざわしてた劇場が暗転して始まるまでの高揚感とか、幕間に「やばい(やばい)」って感想呟くのとか、カテコで拍手を送るのとか、終わってから友達と感想言い合ったり、飲み屋で感想戦したり、そういうのぜんぶ含めての観劇だったんだなと改めて思います。
すごく特別で貴重で何者にも変えがたい体験であり、非日常空間であり、わたしたちはあの空間に、時間に、値段以上の価値を見いだしてお金を払っていたんだよな。
改めて、わたしは現場でしか生きていけないおたくなんだなと。
配信文化みなさんはどうですか?
時間になったらぽちっとスマホ押すだけで劇場行くのより何倍も楽で手軽なのにわたしはものすごく苦痛で全く順応できないんですよね
絶対途中でちがうこと始めちゃうしさ。
そりゃそうだよな、学生の頃から家だとおやつ食うだけで全然勉強しない芸人だったもんなおまえ。
でもわりとこういう人多いみたいで安心しました。みんな同じだよ!大丈夫だよ!
マメな俳優さんほど配信とか頑張っちゃうからおたくが疲れちゃうみたいな。
あと長くおたくやってると、その話もう知ってる…みたいなこと何度も話されるからつまらんとかね。
ライブとか演劇が有料配信になったら今まで見れなかったような人も手軽に見れるようになるね!とかなるけど意外とそうでもなかったりするよね。状況が変われども、やっぱりお金や時間を対価として差し出してくれる層って基本的に同じなんだよなと改めて。
地方公演みたいなもんだよね。地方来てる顔ぶれって大体東京と変わらん。
あと、視聴するためにあのアプリをいれないといけない、あれに登録しないといけないとか、わからない、めんどい、もういいや、そこで躓いてる層も一定数いる印象。
あと、今までは舞台とかオフィシャルな場でしか見られなかった推しがたまに配信とかで自由にやってて素の部分が見れることが楽しかったり、希少価値があったんだろうけど今それが完全に逆転してしまっていてオフィシャルじゃない方が主みたいになっちゃってるもんね。(たぶん俳優さんたちも暇で人と話したいんだろうが)
それってなんかいろいろ弊害ありそうな。あの人たちって板の上に出てパフォーマンスしてるときにこそ輝いて真価を発揮するわけで(べつに舞台を降りたら価値がないとかそういう話ではないよw)自らそこのボーダーあやふやにするのあんま良くなさそう…
そして、稽古にも舞台にも大人数が集まることができないだろうから「朗読」も今後主流になっていくのかなあと個人的に思うんだけど
朗読ってめちゃめちゃ難しくて、いくら俳優さんといえどプロの声優じゃない人がなんとなくやると意外と演技の幅狭いんだなとか、滑舌悪いんだなとか、残念を露呈するだけになる可能性めっちゃあるからやるならほんとにちゃんと準備してしっかりやらないとわりと事故だよ。
今後はライブも演劇も無観客配信みたいなのが増えてくだろうけど、
無観客配信でいいのなら、じゃあもう観客っていらなくない?
とか自らの存在価値すらわからなくなってくるよねwww観客の意味とは。
あと
基本的にフリー(自由/無料)であることは無法地帯しか生み出さないとわたしは思ってるので
いろいろ頑張って楽しませてくれようとしてるのはいいけど、そろそろ次の段階に行かないといけないとこまで来てると思うな
フリーからの脱却。
そして、利益を出さないといけない以上、お金をとるにしても金額設定とか、少ない労力でどこまでちゃんとやるかとか、リアルタイムで非日常に没頭できるライブ感という最大にして最強の持ち味をある程度放棄しないといけない今、付加価値をどうつけていくか、とかね。どうなっていくんだろうね。
やる方も見る方も今はしんどくて不自由でフラストレーション溜まるけど、それは次の新しい変化へのインターバルみたいなもんだよね。
その変わってしまった新しい世界に自分が魅力を感じ、対価を払えるかどうかはまだわからんけども。
これからは映像配信が主になるよ!劇場でやるなら客席も減らしてチケ代爆上げするよ!とかなってるかもしれん
そんなわけで、手軽で自由であることが必ずしも「価値」であるわけではないことを、この空白の3ヶ月が教えてくれました。
選択肢が増えるのはいいことなんだけどね。
あれやだこれやだ沸いた泣いたってほんといちいちめんどくせえよなおたくってやつは。
結論:おたくはめんどくさい